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東京地方裁判所 昭和60年(ワ)8342号 判決

原告

高田すみ子

右訴訟代理人弁護士

伊藤皓

被告

株式会社 常盤基礎

右代表者代表取締役

椎木貢

右訴訟代理人弁護士

小島敏明

主文

一  被告は原告に対し、金六九万三〇〇〇円とこれに対する昭和五九年八月一〇日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  この判決は仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

主文と同旨。

二  被告

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  被告は、土木建築の基礎工事を業とする株式会社である。

2  原告は、昭和五四年二月一日、被告会社と雇用契約を締結し、以後同社で稼働していたが、昭和五九年七月一〇日、「会社の景気も悪いので、やめて貰いたい」旨辞職の勧告を受けたため、やむを得ず同月三一日被告会社を退職した。退職時の基本給は一二万六〇〇〇円であった。

3  被告会社の就業規則及び退職金規程は、退職者に対して退職後すみやかに退職時の基本給に一定の支給基準率を乗じた額の退職金を支払うとしており、原告のように勤続年数五年六月で「やむをえない業務上の都合による解雇」に該当する者については支給基準率が五・五とされているから、原告の退職金は六九万三〇〇〇円となる。

4  よって、原告は被告に対し、退職金六九万三〇〇〇円とこれに対する退職日から相当期間経過後である昭和五九年八月一〇日以降支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因第1項の事実は認める。

2  同第2項のうち、退社原因の点は争い、その余の事実は認める。

3  同第3項の事実は否認する。

三  被告の主張

1  被告会社は原告を池袋職業安定所の紹介により雇用したのであるが、被告会社が同所に届出た労働条件は退職金制度がないというものであり、原告は、同所の係官及び被告会社の松原常務から、それぞれ面接時に右の趣旨の説明を受け、それを承諾して就職したのであり、入社後も被告会社が退職者に退職金を支払っていないことを熟知していたものである。

2  原告が被告会社の就業規則である旨主張する書面は、昭和四七年ころ、被告会社に正社員が五、六名しかおらず、就業規則の作成義務がなかったときに、ある取引先との取引開始に当たって体裁を整えるために作成したものにすぎない。また、その存在は、本件で問題となるまで、代表者をはじめ原告以外の従業員は誰も知らず、周知性が全くなかった。したがって、右書面は、作成目的の点からも周知性の点からも、労働条件に関する法的規範としての効力を有しないものである。

四  被告の主張に対する原告の答弁

1  原告が、職業安定所の係官や松原常務から退職金制度のない旨の説明を受けたとの点は否認する。

2  本件就業規則は、法定の手続を経て適式に作成されたものであり、本社事務所のスチール製の戸棚に置かれていて従業員はいつでも閲覧可能な状況にあった。したがって、その作成の動機とは無関係に、就業規則としての効力を有するものである。

また、仮に就業規則に周知性がないとしても、これを作成した使用者は、労働者が自己に有利にこれを援用しようとするときには、その無効を主張し得ないというべきである。

第三証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録に記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  争いのない事実

被告会社が土木建築の基礎工事を業とする株式会社であること、原告が、昭和五四年二月一日、被告会社と雇用契約を締結し、以後被告会社で稼働し、昭和五九年七月一〇日に退職したこと、原告の退職時の基本給が一二万六〇〇〇円であったことについては、当事者間に争いがない。

二  本件就業規則等の作成とその取扱い

(証拠略)、被告代表者尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

被告会社は、昭和四七年ころ、ある取引先との取引開始に当たって、株式会社としての体裁を整えるため、就業規則とこれに付属する給与規程や退職金規程(以下、これらを総称して「本件就業規則等」という。)を作成し、同年五月二六日に池袋労働基準監督署長に届け出た。その当時、被告会社には、正規の従業員が五、六名しかおらず、労働組合も存在していなかった。被告会社では、本件就業規則等を届け出るに当たって、従業員らにそのことを説明することもなく、従業員の一人であった浅香正信に詳しい事情も説明しないまま本件就業規則等の制定に賛成する旨の意見書を作成させ、これを本件就業規則等の案文とともに届け出ていた。

その後、被告会社では、従業員が増加し、遅くとも原告を雇用するころまでには常時一〇人以上の従業員を使用するに至っていたが、本件就業規則等を改正することも、新たに就業規則を作成することもなかった。しかし、被告会社は、その従業員の労働条件について、必ずしも本件就業規則等に準拠した取扱いをしてこなかった。特に、退職金については、原告を含め新規に従業員を採用する際に、退職金制度がないと説明してきたし、今日に至るまで退職者に退職金を支払ったこともなかった。

三  本件就業規則等の効力

前項の事実関係によると、本件就業規則等は、それによって被告会社の従業員の労働条件等を規律することを直接の目的として作成されたものではなく、その取扱いにおいても必ずしも従業員の労働条件等を定める規範としては利用されてこなかった。また、その作成手続においても、労働者の過半数を代表する者の意見を聴いたとは認めがたく、問題がないとはいえない。

しかし、作成の目的やその実際の取扱いが右のようなものであっても、本件就業規則等は、被告会社の内部資料として内部的に保管されていただけでなく、法規に則り労働基準監督署長に届け出られていたのであり、特に、原告が雇用されるころまでには、被告会社は、常時一〇人以上の労働者を使用するようになり、就業規則を作成すべき法的義務を負うようになったにもかかわらず、本件就業規則等を改正することも、新たに就業規則を作成することもなかったのであるから、原告が本件就業規則等に則った給付を求める以上、被告会社は、その作成の目的や実際の取扱いなどを理由に、本件就業規則等が規範的効力を有しない旨主張することは許されないと解すべきである。

また、作成手続の点については、法が就業規則の作成に当たって労働者の過半数を代表する者の意見を聴くことを求めているのは労働者の権利を保護する趣旨に基づくものであるから、労働者である原告が本件就業規則等に則った給付を求める以上、被告会社は右作成手続上の問題点を理由に右給付の履行を拒むことはできない。被告は、本件就業規則等は従業員らに周知されていなかったとして、その規範としての効力がないと主張するが、周知性の有無はともかくとして、就業規則について従業員への周知が要求される趣旨もまた作成手続の点と同様、労働者の権利を保護することにあるから、使用者である被告会社はこの点を理由に本件就業規則等に規範的効力がないと主張することはできない。

したがって、本件就業規則等は、少なくとも原告が本件で請求している原告の退職金については原告と被告会社間の権利関係を規律する効力を有していると解するのが相当である。

なお、被告は、原告が退職金制度がないことを承認した上で雇用契約を締結したこと及び入社後退職金が支払われた事実のないことを熟知していたことを理由に、原告には退職金を請求する権利がない旨主張するが、たとえそのような事実があったとしても、本件就業規則等が右のような効力をもつ以上、これに達しない労働条件を定める労働契約は、その部分については無効となり、その部分については本件就業規則等で定める規準によることとなるから、被告の右主張は失当である。

四  退職金債権の内容

(証拠略)及び原告本人尋問の結果によると、原告は、自己の都合によることなく、被告会社から退職を勧められて退職したのであり、被告会社は原告の退職理由を「経営合理化による人員整理」として取り扱っていることが認められる。

また、(証拠略)によると、被告会社の就業規則三四条は「従業員の退職金は、別に定める退職金規程により支給する。」と規定し、退職金規程は、従業員の退職時の基本給にその在職年数に応じた支給基準率を乗じて退職金の額を算出すること、支給基準率は、退職の理由が死亡、業務上の事由による傷病又はやむを得ない業務上の都合による解雇である場合と自己都合又は業務外の事由による傷病である場合とで異なり、原告のように勤続五年六月の者が前者の理由で退職した場合の支給基準率は五・五であること、及び退職金の支給は退職後すみやかにその全額を支払うことを定めていることが認められる。

以上によると、原告の退職金支給基準率決定に当たっては、原告がやむを得ない業務上の都合による解雇によって退職したものとして取り扱うのが相当であるし、原告の退職時の基本給は前記のとおり一二万六〇〇〇円であったから、原告の退職金はこれに五・五を乗じた六九万三〇〇〇円となることが計算上明らかである。したがって、被告は原告に対し、遅くとも原告の退職日から相当期間経過後である昭和五九年八月一〇日までには、右金額の退職金を支払うべき義務があったと認めるのが相当である。

五  よって、原告の本訴請求はすべて理由があるから認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 藤山雅行)

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